インド神話に於ける阿修羅は、元来、「正義」を司る神でした。
しかし、ある時、帝釈天(力を司る神)に娘を無理矢理に奪われた事で、阿修羅は「怒り」の鬼神となってしまいます。
帝釈天は、仏法の世界に於いて最高位の「天」に属し、四天王の長とされる最強の神。
その最強神に、復讐の為、阿修羅は戦いを挑みますが、何度戦っても、到底、帝釈天には敵いません。
その間に、阿修羅の娘は帝釈天の妻となり、幸せに暮らしていたにも関わらず、阿修羅は戦う事自体に固執した状態に陥り、戦いを止める事が出来なくなってしまいました。
その為に天界の怒りを買った阿修羅は、六道の天界から、人間界の下位である修羅界へ追放されてしまいます。
その後、釈尊の導きによって、他を許す慈悲の悟りを得た阿修羅は、釈尊如来の教えのもと、怒りの鬼神から八部衆という仏法を守護する神となります。
興福寺の阿修羅像の正面の表情は怒りが封印されていますが、これは、修羅界の阿修羅が、釈尊の説法により、仏の教えに目覚め、怒りの執着から解脱した瞬間を現したものであるからと言われています。
悲しみと憂いを内部に秘めつつも穏やかな表情は、奥深く深淵な美を感じさせ、人々を魅了し続けてきました。
その悟りの表情は、たとえ正義であっても、それに執着し過ぎると善を無くした妄執の悪となる事もあり、また、復讐に固執する者は、人間以下の存在である事を我々に語りかけています。
興福寺の阿修羅像の左の顔は阿修羅が過去の自分の行いに懺悔する表情、右の顔は人間界に対する慈悲の表情とも。
阿修羅が正義の神、慈悲の神と言われる一方で、戦闘神や悪の化身などと様々に評されるのは、阿修羅の波乱に満ちた激動の生涯に起因しており、それは人間の生涯とその因業を象徴しているのかもしれません。
興福寺の阿修羅像は、光明皇后の母、橘三千代の一周忌の追善供養の為に興福寺に納められたと伝えられ、少年の姿をしているのは、阿修羅像造仏を命じた光明皇后自身の姿、又は、光明皇后の皇子の姿を表しているとも言われています。
阿修羅像の御姿から、多くの教訓を得る事ができました。
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